ウィトゲンシュタインという名のコンパイラ
「語りえないものには沈黙しなければならない」
ちょっと人文系に興味のある人なら必ず聞いたことがあるこの言葉。
そう、ウィトゲンシュタインが「論理哲学論考」の末尾にしたためた言葉です。
ウィトゲンシュタインは哲学の問題は「言葉の誤用」から生じているとしました。
たとえば、「ろうそくの火は消えた後、どこにいくのか」という「問題」。
これが「言葉の誤用」から生じているナンセンスな文章であるダケ、というのは見やすいでしょう。
ですが、「生きることに意味はあるか」だとか「善悪とは何か」といった一見有意義に見える、「問い」が、「言葉の誤用」であると示すのは容易ではないでしょう。
ウィトゲンシュタインは哲学者の仕事を、次のようにしました。
すなわち、「言葉の誤用」から生じている、実はナンセンスな「有意味な装いを持った文」が、無意味であること。そう、語りえないものを語りえないと示すこと。
さて、私はSEを業としているのですが、PHPのような「おせっかいな」言語でしばらく仕事をしていて、そのあとにC++のような「おせっかいでない」言語で仕事をするなんてことがままあります。
そんなときには、なんて「おせっかいな」言語が勝手に沈黙してくれる言語であるのかと感じ入られずにはいられません。
C++はよりコンピュータに近く、細かいとこまで言語でコンピュータに指示を出せるけれど、指示の責任は言語使用者に大きく負託されています。たとえば、実体のない対象を名指す名詞(NULL POINTER!)なんてのもつくれる。
対してPHPはコンピュータに相対的に遠く、細かいとこの指示はできません。ですが、できないことには、「できない」と言ってくれたり、そもそも「選択肢」すらなかったりする。
ここで、私が「おせっかい」を「言葉の誤用の指摘」に見立てているのはわかりやすいでしょう。つまり、こんなふうな妄想をしてしまう、ということです。
○語りえないことに沈黙させる度合い
小<------------------------------------------------------>大
自然言語 より低級な言語 より高級な言語
プログラムを実行する前に、「言葉の誤用」をチェック(も)してくれるソフトをコンパイラといいます。
ここで、私は人間の言葉(自然言語)にも「言葉の誤用」をチェックするコンパイラがあったらな、なんて思うわけです。そんなものがあれば、人間がそのために生の大部分を費やす大いなる勘違いを削減できる。
というわけで、ウィトゲンシュタインのコンパイラなんてテーマをつけました。
でも、そんなコンパイラがないのは明白で、というのは「言葉の正しい用法」なるものがなんなのかわからないからです。
たとえば、隠喩は「言葉の正しい用法」という観点からどう考えるべきなのか。
隠喩や詩的言語といったものがわれわれの生を彩る多くの物(というか、その中心)を形作っているように思われる。
きっとそんなコンパイラが普及して共同幻想の醒めた世界は、ラカンが「命の(またはリアルの)しかめっ面」といったような場所なんだろうな。